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世界の秘境から日常のことまで写真とともに掲載
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Posted by - 2024.07.02,Tue
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Posted by Kaycom - 2012.10.15,Mon
↓スタクナ・ゴンパ(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

3日目


シェイ王宮を後にし、しばらく進むとインダス川に架かる橋を渡ります。
そこを渡ると向こうの丘にスタクナ・ゴンパが聳えていました。






車を降りてマニ車を回しながら入口まで上っていきます。
丘の上に行くとインダス川の風景が遠くまで見渡せました。




中庭に出るとカラフルな建物がぐるりとまわりを囲んでいます。
正面の階段を上がってドゥカンの中へ入ると、
内部は外にもましてきらびやかで、数々のタンカや壁画で埋め尽くされていました。






=====ガイド=====

16世紀にシンゲン・ナムギャルの時代に建てられて、ドゥクパカギュ派という宗派のゴンパ。
スタクとは虎のこと、ナは鼻で「虎の鼻」という意味。
なぜこの名前がついたのかというと、
このゴンパが建っている岩山が虎の姿に見え、その鼻先にゴンパがあるため。

ドゥクパカギュは、ブータンの国教にもなっている宗派で、
ラダックにはこの宗派のお寺が多いが、その中でも代表的なのがへミスゴンパ。
しかし、こことは微妙に違い、スタクナはどちらかというとブータンに近い。
16世紀にブータンからチョゼムジンという僧侶を呼んで、ここのお寺を建立した。

ドゥカンにはスタクナリンポチェの写真があり、
かつてここのヘッドラマだったが4年ほど前に亡くなった。
亡くなった後転生するが、その生まれ変わりの人はまだ見つかっていない。

ご本尊は、三世仏(過去仏、現世仏、未来仏)。
過去仏は「覚者仏陀(?)」、現世仏は「釈迦牟尼仏陀」、未来仏は「弥勒菩薩」で、
弥勒菩薩は、56億7千万年後に仏陀になり人々を救うと言われている。
その両脇にはカンギュールがある。
カンギュールとは釈迦牟尼仏陀(お釈迦様)の教えをまとめた経典。
バージョンによっていろいろあるが、だいたい120くらいある。
カンギュールの他にテンギュールというのがあるが、
これは竜樹など、そのあとの人たちがカンギュールに対してコメントなどを加えていったもの。
それが225典ある。
トータルで、340~350あるがチベットにはオリジナルが残っている。

当時仏教の中心地カシミールなどに入ってきたときはみんな失ってしまったが、
その前に翻訳してこちらに持ってきた。
ナーランダーとかヴィクラマシーラなどの仏教の総合大学があったが、
それは今のインドとかパキスタンなどイスラム圏に多くあったので、
そちらにあったものは、偶像崇拝を禁止しているイスラムに破壊されてしまった。

ここに残っているのは全てではなくて、中でも重要なものを翻訳して持ってきた。
ナーランダー僧院が燃やされたとき、
ものすごい数の経典があったため7か月間煙が立ち上り続けた。

スープラ(お経)とかタントラ(実践する方式)がヒマラヤの仏教に残って、
実践することができるようになっている。
そういう重要なものが残っている場所なので、以前は汚かったが、
当時のスタクナリンポチェがきちんと修復した。
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(?):よく聞き取れなかった箇所



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Posted by Kaycom - 2012.10.14,Sun
↓シェイゴンパのお釈迦様(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

3日目


お堂の方に回ると、小さな小屋がありました。
これはバターランプの小屋で、お堂の中で燃やせないためここで火を灯しています。
さらにお堂の入口にはバターが入ったペットボトルが置いてあり、
参拝に来た人がおいていったものだそうです。






さて、いよいよお堂の中に入ります。


=====ガイド=====

仏像は金と銅で作られていて、13~14mある。
仏像の制作にあたってはいろいろな決まりがあり(各部のサイズや形など)、
それに沿って作成するが、作っただけではあまり意味がない。
仏像の中にお経とか仏像とかを収めた上で、
僧侶による開眼法要を行うとやっと仏陀と同じものになる。




仏陀というのは、個人を指すものではなく悟りを開いたものという幅広い意味があり、
仏陀になるというのは、修行して解脱して悟りの道に入るということ。
悟りの道に入った仏陀という存在は、32の身体的特徴を有しており、
仏陀を作る際は、その中の螺髪と白ごうは確実に反映させている。

身口意(ボディ・スピーチ・マインド)が一番大事。
ボディの特徴としては螺髪と白ごうを作る、スピーチは教えを守ってフォローしていく、
そしてマインドは、4つの無限の愛、喜び(?)平和、平等で、
それらは仏陀の教えの根幹となっている。

お堂の中の壁画はすすで真っ黒だったが修復されて今は綺麗に見える。
獅子吼観音(センゲータ)やグルリンポチェ(パドマサンババ)の八変化など。
ブータンのタクツァン僧院に仏教を運んだのはグルリンポチェだが、
ここに描かれているような恰好で行ったのではなく、ドルジドロという姿で行った。



 


ウイグルの39屈の手前のところに竜樹の像が建っている。
竜樹の絵には頭の上に竜が描かれている。
竜樹は当時、ナーランダー僧院(仏教の総合学習センター)の6人のマスターの中の一人で、
今ある経典とかはサンスクリットでこの人たちがずっと書いて残してきた。
初期から中期のまだ成熟していく前の仏教を広めていった。

お釈迦様(シャキャ・トゥパ)、十六ラカン、
持金剛(バジェラ(金剛)を持っているお釈迦様のひとつの化身)、サキャ派の祖師など。
仏教を西の方に広めようとしたタクツァンレーパは17世紀にはここにいた高僧で、
イスラムの方に仏教を広めてきなさいと言われたので
頭にターバンを巻いている絵が描かれている。







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(?):よく聞き取れなかった箇所



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Posted by Kaycom - 2012.10.13,Sat
↓シェイ王宮のストゥーパ(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

3日目


階段の上には大きなマニ車がありました。




=====ガイド=====

マニ車の中には、
観音菩薩の真言(マントラ)「オンマニペメフム」について書かれた紙が入っている。
全チベットにはいろいろな菩薩さんなどがいて、それぞれにマントラがあるが、
その中で観音菩薩というのは、仏陀に、
「悟りの道に入って無限の慈悲を与えなさい」
と言われ選ばれた人である。
ダライラマも観音菩薩の化身あり、
観音菩薩というのは全チベットで一番大事にされている菩薩。

マントラとは、もともと長い言葉を短くしたもので、
必ず最初は「オウム」から始まり、最後は「フム」で終わる。
「オウム」というのは「ア」「オ」「マ」という三つの言葉が合わさっていて
それは身口意の「ボディ」「スピーチ」「マインド」を表している。
まずは「オウム(オン)」と発することによって
「自分の身口意を浄化してください」と始める。
最後「フム」は「プリーズ」という意味。
「オンマニペメフム」というのは、最初の「オン」は身口意、
「マニ」は「宝珠」、「ぺメ」は「蓮」で、
「観音菩薩の身口意を通して、私の身口意をあなたの持っている宝珠、蓮と同じように
自分の中で浄化してください。」という意味。

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そこを過ぎるとちょっとした広場があり、大きなストゥーパが聳えていました。
ここからは麓の景色が遠くまで見渡すことができます。





=====ガイド=====

ここは法要する広場で、今でも村の人たちが使っている。
シンゲン・ナムギャルが亡くなった時に息子のデルダン・ナムギャルが
このストゥーパ(亡くなった人のために作るもの)を建てた。

建設する際、
全チベット(今のチベット自治区や青海、ネパールやザンスカールの方も全て)に
シンゲン・ナムギャルが亡くなったのでストゥーパを建てるということを知らせた。
すると、チベット中から(ダライラマやパンチェンラマなどからも)
シンゲン・ナムギャルのために経典や仏像、宝物が届いた。
それがこのストゥーパの中に入っている。

お堂の中にある釈迦牟尼仏陀の像を作る際に、
今のネパールのパタンから2人の職人を呼んだ。
実際に作るときになって、
ネパールのボダナートに興味を持っていてたデルダン・ナムギャルが、
それはどのようなものかその職人たちに尋ねた。
するとその職人たちは、ボダナートのミニチュアを作ってデルダン・ナムギャルに見せた。
それを見たデルダン・ナムギャルはとても気に入り、ぜひ作ってほしいと依頼。
そして、できたのがシェイ王宮の麓に建っている。(現在修復中)



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Posted by Kaycom - 2012.10.09,Tue
↓ガイドをしてくれたツプテン・ パルダンさん(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

3日目


朝熱いシャワーを浴びてさっぱりしたところへ、モーニングティーが部屋に運ばれてきました。
ちょっと生姜の利いたマサラティーです。
カーテンを開けて外をみると雲がたくさん・・。
この時期のラダックは天気がいい・・というよりそもそもあまり雨が降らない地域なのに。
ちょっとテンションが下がりますがこればっかりは仕方がない。




8時、朝食。
山名さんが持ってきてくれた味噌汁と、トースト、オムレツなどしっかりいただきました。




9時出発。
ロビーに行くと赤い袈裟を来たパルダンさんがいらっしゃいました。
山名さんとはもう10年来の友人で、今回のガイドも無理を言って引き受けてもらったのだとか。
とても偉い僧侶の方だと聞いていたのでちょっと緊張していたのですが、
なんとも人懐こい笑顔を向けてくれてほっとひと安心。

今回はそのパルダンさんのガイドを受けられるということで、
日本からICレコーダー(ICD-UX523-S)を持参してきました。
いつもはメモだけなのですが、それだけでは全てを書き取れないのは自明の理。
きっと威力を発揮してくれるはずです。

さて、準備も万端整いまずはシェイ王宮へ向かいます。
ホテルから30分ほどのどかな道を走り到着。
丘の上にあるのでそこまで坂を上っていくのですが、すぐに息が切れてしまいます。
そんな中、息も乱さずスイスイ上っていくパルダンさんはさすが。
御年67歳だと伺いましたが本当にお元気です。
ぜーぜー言いながら、なんとか建物の入口までたどり着き、ガイド開始。








ガイドは、最初にパルダンさんが英語で説明してくれて、
そのあと山名さんが日本語に訳してくれます。
各説明はICレコーダーの内容と写真を照らし合わせて掲載していきますが、
録音状態により、聞き間違いなどあるかもしれませんのでご了承ください。


=====ガイド=====

シェイ王宮はラダック王国の始まりとなった王宮。(ゴンパではない)
もともと西チベットに王様と3人の息子がいたが、
その息子たちにチベットの方と、この辺りと、ザンスカールのエリアをそれぞれに分け与え、
その中の一人でこのエリア担当になったラツェン・パルディブンが最初の王様になった。
彼は、ここからちょっと離れた場所に小さな王宮を建て、ラダック王国を統治していった。

ここに来たときいくつかの家族も連れてきたが、こういう辺鄙な場所なため、
まずインダス川から水を引いて周辺を耕作し畑を作っていった。
そうやって人の住める環境を整え、どんどん村が広がっていった。

王宮やゴンパを建てるときは、できるだけ、
丘の上で後ろに岩壁や山、前に湖や川などがある場所を選ぶ。

最初の王様ラツェン・パルディブンが建国したのが9世紀で、
その後王様が新しくなる度に王宮を建て増ししていき、
17世紀前半、シンゲン・ナムギャルの息子のデルダン・ナムギャルがこの建物の礎を作った。

デルダン・ナムギャルの時代になった時には、
バスゴーの王宮もレーの王宮もすでにあったが、
このシェイ王宮をもう一度作り直したいと思い手を入れることになった。
そして、この建物とともに目の前の池も作った。

池の脇にある小道はずっと昔からキャラバンが使っていた道で、
その当時の人はその池に王宮が写る景色を見ながらやってきた。




昔はこの辺りにも集落があり、その集落全体が城壁に囲まれていた。
その城壁には南と西にゲートがあり集落にはそこからしか入ることができなかった。

デルダン・ナムギャルは父のシンゲン・ナムギャルのためにお堂を作り、
当時ではラダックで一番大きな釈迦牟尼仏陀を安置した。

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さらに階段を上って中に入っていきます。



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Posted by Kaycom - 2012.10.08,Mon
↓レーの旧王宮(ラダック)
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旅行期間:2012年9月15日~9月23日

2日目


本当はここから車でホテルへ帰るはずでしたが、みんな元気だったので
目の前の坂道を下って旧市街を通り、メインバザールまで歩いていくことにしました。
黙々と下っていると、ほぼ徹夜で日本から移動してきた眠気が襲い始めました。
思えば初日からよく行動したなと思います。

旧王宮の入口まで下りてくると、レーの町も間近に見下ろすことができました。
ひとつひとつの建物がよく見えます。








王宮の脇から細い路地に入るとそこが旧市街。
住民の人たちと挨拶を交わしながら進んでいきます。






ほどなくいくとメインバザールのモスクの脇に出ました。
バザールの通りは昼間よりたくさんの人で賑わっていて、野良犬(でっかい)もあちこちに。
人と犬をよけながら通りのはしで待っていた車に乗ってホテルへ戻りました。




ホテルのレストランで夕食。
今日のメニューはチャイニーズです。
お昼も感動しましたが、ここのレストランのスープは美味しい!
他の料理もなかなかで、腹八分目までたっぷりいただきました。




今日は初日なので、体の酸素を大量消費するお風呂はなし。
そして山名さんからキャベジンを一人前もらい寝る前に飲みました。
山名さんによると、高山病対策として、
頭が痛くなくても初日の夜に飲んで寝ると翌朝スッキリしているのだとか。
私も今回初めて聞いたので、心配な方にはおすすめです。



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